2009年11月23日 入場券を戴いたので あの
小野田 寛郎氏の講演を聴きに行きました
司会者の紹介の間 壇上の傍らの
小野田 寛郎氏を目前にして 胸に込み上げてくるものがあり思わず涙してしまいました。
小野田 寛郎氏の終戦は昭和49年3月でした
昭和19年
フィリピン・ルパング島に派遣され帰還までの
29年3ヵ月
極限の毎日毎日であったでしょう・・・・
到底私には想像する事は出来ません
衣・・・・縫い針を作る・・・・
食・・・・放牧牛・椰子・バナナ・・・
住・・・・常に居住を変えて
最後の二人になって居住の移動時に交わした会話
『隊長 早く死んだほうが らくでしたね』 『まだ元気だから・・・』
死と対峙した毎日の心境は計り知れません
背筋が伸びて 足はキチンと上がる足取りは軽く はっきりと話し
お優しい笑顔で話されるお姿の中に
帰還当時の精悍で厳しいお顔を垣間見ました
強くなければ生きられない 優しくなければ社会に生きられない
自然と親の恩恵を忘れないで
と言っておられました
関取衆に会いました